雑草魂とは、1999年に流行語となった『雑草魂』という言葉ですが、新人王を獲得した上原浩治投手の座右の銘としても知られています。
現在では、自分を奮い立たせる根性論的な言葉の一つとして一般的です。
意味は、エリートではない人間が、踏まれても踏まれても、どんな過酷な環境でも這い上がり、苦労を重ねて努力で結果を残す様のことです。
立ち上がらない雑草
しかし、本来の雑草の姿は本当にそうなのでしょうか。
確かに雑草は地味で目立たない草の総称で、どんな所にも生えています。
抜いても抜いても生えてくる厄介な存在であり、忌み嫌われていることも否定できません。
今回はそんな雑草の意外な一面を取り上げてみたいと思います。
植物というのは、種を残して広めることが生きる目的です。それは雑草も同じです。
雑草はどんな過酷な土地にも根付きますが、実は決して強い植物ではないのです。
だから雑草は、踏まれても立ち上がりません。
元の形に戻るという無駄なことにエネルギーを使いません。
踏まれたら今度は横に根をはり、なるべく低い形を維持しながら種を残す方法を考えます。
本当の強い植物というのは、代々森の中の奥深いところにしっかりと根付いています。その競争に負けてしまったのが雑草なのです。
競争に強くない雑草は、多くの植物が求めるような日当たりや水分環境が整っている場所から離れました。戦線離脱です。
そのかわりに、他の植物が望まない場所で勝負することにしたのです。つまり、人間の暮らす町中の花壇、畑、コンクリートの隙間や乾燥の激しい空き地などです。
他の植物が避ける程の過酷な環境に随時適応してきた雑草は、同じやり方を代々残していくことに拘りません。自分がこのやり方で成功したから、自分の子孫もそのやり方を真似すれば、生き残っていけるとは限らないからです。
とても柔軟で、多様性がある雑草だからこそ今まで生き残ってこれたともいえます。
競争相手が少なくなるかわりに、過酷な場所で自分の強みを生かして生き残っていく術を身につけた雑草は、バイタリティーにあふれたとても賢い植物なのです。
おわりに
雑草の生き方から学べることは、雑草魂という根性論ではなく、それぞれの場所を見つけて、勝負して、そこで生き残ることです。
環境が変わってかなり辛い状況に腐ってしまう方もいるかもしれません。今は辛くても、自分がその場所で適応して、自分の強みを見つけて生き残っていくことが大切です。
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